古诘将棋4 《象棋无双》和《象棋图巧》

阅读前须知:知识来源:诘将棋博物馆。
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江户时代的诘将棋的水平,在享保-宝历时代,由于七世名人三代伊藤宗看(1706 – 1761)和赠名人伊藤看寿(1719 – 1760)的天才兄弟的出现而达到顶峰。三代宗见是指将棋中位于历代家元名中最右翼的名人,其奉献图式“象戏作品”(俗称“将棋无双”,享保19年。1734年刊)被称为《将死或将不死或百番》,是古今最难解的作品集。看寿的奉献公式《将死公式》(又名《将死百番奇巧公式》,俗称《将棋图巧》,宝历5年。1755年出版)被称为“神局”,是古今最杰出的作品。

《象棋无双》是深刻的,不仅构思技巧也与之前的作品相比要左右卓越,而且合理,伏笔,爱好,远驹等技法和长手数记录等所有分,打开新境界。

《象棋图巧》是凌驾于《无双》之上的高超技巧作品,无论是长条作品、游戏作品,还是构思型作品,都具有高雅的技法。有名的“六百十一手诘”、“烟诘”、第一个“角送诘”等,无论哪一个都不像是人类的职业,是极尽人智的作品。

这两本书古今被称为诘将棋的双璧,两者相比较,《图巧》的技巧有一日之长。然而,为了作出公平的评价,也应该考虑创作的顺序。虽然是同一时代,但《无双》早创作了一些。

为什么这样的杰作是这个时代出生的?是因为诘将棋献上的传统、世袭的传人制度和他们天才兄弟的出现吧。尊崇厚重难解的诘将棋的传统和以将棋为天职,把奉献诘将棋的创作作为神圣的工作来对待的他们两位天才的钻研,诞生了奇迹般的作品。

以下为知识来源

『将棋無双』と『将棋図巧』(享保―宝暦時代)

 江戸時代の詰将棋の水準は、享保―宝暦時代を迎え、七世名人三代伊藤宗看(1706―1761)と贈名人伊藤看寿(1719―1760)の天才兄弟の出現により頂点に達する。三代宗看は指将棋でも歴代の家元名人中最右翼に位する名人で、その献上図式『象戯作物』(俗称『将棋無双』、享保19年。1734年刊)は『詰むや詰まざるや百番』と呼ばれる古今最高の難解な作品集であり、看寿の献上図式『象棋図式』(別名『象棋百番奇巧図式』・俗称『将棋図巧』、宝暦5年。1755年刊)は「神局」と呼ばれる古今の最傑作である。

『将棋無双』は難解なばかりでなく、構想も技巧もそれまでの作品とは比べものにならぬぐらい卓越しており、妙手、伏線、趣向、遠駒などの技法や長手数記録などあらゆる点で新境地をひらいた。

『将棋図巧』は『無双』にもまさる高度な技巧的作品で、長手数作品や遊戯的作品、構想型作品に高雅な技法が見られる。有名な「六百十一手詰」や「煙詰」、第一番の「角送り詰」など、どれをとっても人間業と思えぬ、人智の限りを尽くした作品である。

この両書は古今を通じて詰将棋の双璧と言われるが、両者を比較すると『図巧』の技巧に一日の長がある。しかし、公平な評価をするには創作された順番も考慮すべきであろう。同時代ではあるが、『無双』の方が幾分先に創作されたであろうから。

なぜこのような傑作がこの時代に生まれたかというと、それは詰将棋献上の伝統と世襲の家元制度と彼等天才兄弟の出現に帰すべきであろう。重厚難解な詰将棋を尊ぶ伝統と、将棋を天職とし、献上詰将棋の創作を神聖な仕事として取りくんだ彼等両天才の研鑚により、奇跡的な作品が誕生したのである。

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aucki6144
天锻将棋创始人

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